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ウズベキスタンの旅(6)イスラム建築を訪ねて―シャフリサーブスとギジュドゥヴァン

サマルカンドとブハラに滞在中に、それぞれ少し足を延ばしてシャフリサブスとギジュドゥヴァンに行きました。今回はこの二つの話題です。


サマルカンド滞在3日目の朝も、素晴らしい天候でした。シャフリサーブスに向かって出発します。車で片道2時間ほどの小旅行です。

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サマルカンドから山を越え、こんな風景が続きます。

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サマルカンドから南に80kmほど行ったところにあるシャフリサーブスは、ティムールの故郷として知られています。生まれ故郷をサマルカンドとも引けを取らない町にしようと、広大な城をはじめ、モスクや自らの廟も建設しました。しかし、ティムールは1405年アク・サライ宮殿の完成を見ずに亡くなってしまい、サマルカンドのグル・アミール廟に埋葬されました。およそ100年後には、ティムール朝はブハラ・ハーン国のシャイバニ朝に滅ぼされ、16世紀後半に、この町の繁栄を妬んだアブドゥール・ハンによって、町のほとんどが破壊されてしまいました。現在アク・サライ宮殿のあった辺りは広い公園となっていて、壊れた入口アーチの残骸にその宮殿の巨大さが偲ばれます。


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アク・サライ宮殿の門です。門も城壁も復元されたようでした。

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巨大なアーチの残骸です

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絵付けタイル(水彩技法)とモザイクタイル部分も見えます。

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タイルはかなり剝がれ落ちています。2000年に世界遺産となっていますが、今後どこまで修復されるのでしょうか。

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宮殿があったあたりに、ティムールの像が立っています。この一帯は広い公園になっていて、きれいに整備されています。まだ完成してあまり経っていないのか大きな樹木がなく、9月の日差しはまだ焼けるような強さで、全く日陰のない中を歩かなければなりませんでした。

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公園からイパク・イューリ通りを南に進むとティムールゆかりの建築群、ドルッティロヴァット建築群があります。上の写真はコク・グンバス・モスク(1435~1437年)です。ウルグベクによって、建てられました。これに向き合って廟が2つ並んでいます。

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写真の左手前ドームがグンバズィ・サイーダン廟で右がシャムスッディン・クラル廟です。その後ろにコク・グンバス・モスクが見えます。

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シャムスッディン・クラル廟(1374年)はティムールによって建てられ、ティムールの父とその指導者シャムスッディン・クラルが葬られています。天井部分です。

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内部は修復されたばかりなのでしょうか、タイルではありませんが、美しくペイントされてます。

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もう一つの廟、グンバズィ・サイーダン廟は、ウルグベクが自分の子孫のために建てたものです。

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グンバズィ・サイーダン廟の天井です。

これらのドルッティロヴァット建築群の東に、ドルッサオダット建築群があります。ティムールが葬られるはずだった墓室も残っていますが、かつてあった広大な廟群も残骸から想像するだけです。



シャフリサブスに行く2日前の朝は、ブハラからギジュドゥヴァンを訪ねました。
ギジュドゥヴァンはブハラから約46kmほど北東に行ったところにあります。現地の旅行会社にギジュドゥヴァン観光がしたいとタクシーを頼んでいましたが、ドライバーさんが連れて行ってくれたのは「地球の歩き方」にも載っていたアブドゥッロ・ナルズラエフ氏の工房でした。各地の陶器を展示する博物館も併設していて、彼の娘さんが案内してくれました。

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博物館内部。


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工房内部も見学できました。

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釉薬の原料(現地の長石か何か)の粒を細かく挽くために石臼をロバにひかせていました。

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工房内の中庭のテーブルに、お茶とナッツなどを用意していただき、まったりしました。


この後ギジュドゥヴァンのもう一つの工房も訪ね、両方の工房でお皿を3枚買いました。おおらかな絵付けが楽しいお皿を選びました。
本日のタイル37で紹介したタイルも、ナルズラエフさんの工房で買いました。

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絵付けの後透明釉をかけて裏返しに焼くそうで、お皿の縁に釉薬の溜まった小さな塊があります。焼成する際にお皿を支える(接着しないように)、三本足のピン(トチのようなもの?)にのせるので、どのお皿にもその跡がついています。

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サマルカンド、ブハラのウルグべグ・メドレセはすでに紹介しましたが、ここギジュドゥヴァンにもウルグべグ・メドレセがあります。

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正面は修復中で足場が架かっていました。

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場所によってタイルの色が違うのは、元のものと修復したものの違いでしょうか。

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こちらは全て新しい感じの鮮やかな色のモザイクタイルですね。復元したばかりかもしれません。


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有名なミナレットが近くにあるというので連れて行ってもらいました。カラーン・ミナレットに似ていますが、こちらはすらりと細長いです。モスク自体はすでにありません。なんという名前だったか忘れてしまいました。
次回はこの旅の最後の都市、タシケントです。



最後に本日のタイルです。シャフリサーブスとギジュドゥヴァンのタイルとお皿の写真をコラージュしました。
ギジュドゥヴァンからブハラに戻る車内で、ドライバーさんにこの後サマルカンドへ行くという予定を話した時、ブハラとサマルカンド違いをこんなふうに言っていました。「両方を女性に例えると、サマルカンドはメイクをした美人で、ブハラは素顔のままで美人です。」ナルホド!で、ブハラ生まれ、ブハラ在住の彼は当然ブハラが好きということでした。

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by aozakuro | 2017-09-27 14:48 | | Comments(0)

タイル絵付け制作記録。時々陶芸、木工も。


by aozakuro