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ウズベキスタンの旅(7)イスラム建築を訪ねて―首都タシケント

帝政ロシアに併合される前に、タシケントの旧市街の中心地だったところにある、クカルダシュ・メドレセに行きました。シャイバニ朝の大臣クカルダシュが16世紀に建て、独立後に修復されました。

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両角にミナレットが付いています。右奥には15世紀に建てられ、修復されたジャミー・モスクのドームが見えます。

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入口をくぐると、よく手入れされた中庭が見えます。1階の開いているドアの中を覗き込んだら、学生たちが授業を受けていました。2階は学生寮になっているらしく、建物の中には入れませんでした。ソ連時代は倉庫などに使われていたそうですが、現在は多くの神学生が学んでいるようです。

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アーチの上のタイルはそれぞれ違うデザインです。メダイヨンの中にはアラーとムハンマドのカリグラフィーが書かれたものも見えますね。


この後旧市街のさらに奥に入り、モスクやメドレセ、霊廟などが集まるハズラティ・イマーム広場に行こうと予定していましたが、あまりに暑く歩くのもしんどくなったので、新市街へ戻り、ウズベキスタン歴史博物館やウズベキスタン工芸博物館を見学しました。

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ウズベキスタン歴史博物館の正面です。

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ウズベキスタン歴史博物館のそばにナヴォイ・オペラ・バレエ劇場があります。この劇場は、第二次世界大戦後ソ連の捕虜となり、タシケントで強制労働させられた旧日本兵が造った建物です。1966年のタシケント地震の時78000棟もの建物が倒壊したのにもかかわらず、ナヴォイ劇場は無傷だったそうです。この旅行に出発する少し前にナヴォイ劇場と旧日本兵の話がテレビで放送されていました。その中で日本人の手を抜かない勤勉さをたたえ、感謝するウズベク人も出ていました。

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ウズベキスタン工芸博物館です。素晴らしい内装で、展示品ではスザニ(刺繍された布)が充実して見ごたえがありました。

途中新市街の外れにあるアブドゥールハシム・メドレセに行きました。

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19世紀の神学校ですが、現在は民芸品の工房兼店舗になっています。中庭に出ると、職人さんたちが掃除をしていました。
細密画、木工細工やきれいに着色された小箱、陶器などがそれぞれの小部屋に展示販売されていました。陶器が並ぶ小部屋には、ヒヴァ、ギジュドゥヴァン、タシケントそしてリシタンの陶器がありましたが、青の釉薬に目が留まり、リシタンのお皿を買いました。

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購入したお皿のおまけに石榴の楊枝入れを付けてくれました。


これでウズベキスタンの旅の記録はおしまいです。
いつも離さず持ち歩いたのは「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々 ウズベキスタン カザフスタン キルギス トルクメニスタン タジキスタン」(発売元 株式会社ダイヤモンド社)です。このブログの写真の建物の紹介もこの本を参考にしています。中央アジアの観光情報があまりにも少なく、この本も5か国まとめて1冊になっているのに厚みはわずか1cmほど。(半分近くはウズベキスタンに割いてはいますが。)
この旅は、世界文化遺産に登録されたイチャン・カラ(ヒヴァ)(1990年)、ブハラ歴史地区(1993年)、サマルカンド-文化交差路(2001年)、シャフリサーブス歴史地区(2000年)を全て網羅した、欲張りな日程でした。これらのうちサマルカンドとシャフリサーブスはティムール朝時代(14世紀後半~1507年)の建物が多く、ヒヴァとブハラはその後のシャイバニ朝以降のヒヴァ・ハーン国、ブハラ・ハーン国の遺産がメインです。
「地球の歩き方」で気になったのが、「カラーン・ミナレットのカラーンとは、タジク語で大きいという意味」であるとか、「レギスタン広場のレギスタンとはタジク語で砂地という意味」といった記述がなされていたことです。ウズベキスタンの民族構成はウズベク人78.4%、ロシア人4.6%、タジク人4.8%、タタール人1.2%、などとなっています。公用語はウズベク語でロシア語の通用度も高いということです。「~歩き方」の巻末の旅の言葉ではロシア語以外にはウズベク語、カザフ語、キルギス語、トルクメン語が日本語と対応して書いてありますが、そこにはタジク語がありません。本文の中のタジキスタンのページが10ページしかないからでしょうか。調べてみると、これら4つの言葉はアルタイ諸語のテュルク諸語に属しますが、タジク語だけはインド・ヨーロッパ語族、イラン語派でペルシア語系であるということです。
ウズベキスタンの歴史を簡単に振り返ります。もともとオアシス都市にはソグト人などイラン系の人々が定住していました。7世紀以降にトルコ化が進み、アラブ軍の侵入によりイスラム化が始まりました。9~10世紀にはイラン・イスラム王朝のサーマン朝が誕生します。その後トルコ・イスラム王朝のカラハーン朝が出来、13世紀チンギス・ハーンの来襲がありました。ティムール朝時代を経て、現在のウズベク人の祖、ウズベク族のシャイバニ朝が台頭します。その後ロシア人が侵入します。
ブハラのイスマイール・サーマーニ廟を建てたイラン系の言葉を話す人々の子孫は、タジク語を話すタジキスタンへ移ったのでしょう。(というか、ソ連時代があって結果的にタジキスタンのくくりになったのでしょうが)モンゴル軍の破壊の後、シルクロードの要衝として栄えたサマルカンドを再建したティムールは、文盲だったけれどチュルク語(トルコ語系)とタジク語(イラン語系)を話せたそうです。彼はトルコ化したモンゴル人と言われています。イラン系の文化の土台があった土地で、トルコ化が進んだサマルカンドがティムール朝の都です。よくわかりませんが、この時代トルコ系イラン系のそれぞれの民族の支持を得て、彼らをまとめ支配するのに必要なスキルだったのでしょう。ブハラやヒヴァやサマルカンドの建物の名前には、ペルシア語に似た発音があります。4本のミナレットという意味のチョル・ミナル。ペルシア語で4はチャハールです。ペルシア語と同じような発音としてはチャシュマ・アイユブ。チャシュマは泉。ペルシア語でچشمه。カルタ・ミノルのカルタは短い。ペルシア語でکوتاه。おそらく民族や言語は違っても言葉自体は残ったのでしょう。地名の語尾に付く~スタンとか~スターンというのもペルシア由来の言葉でこのあたりの国には皆ついてますね。そういえばウズベク語でも「こんにちは!」は、「アッサロームアライクム!」でした。これはペルシア語というよりもイスラムの国なら共通ですね。
それにしてもサマルカンドとシャフリサーブスはティムールの遺産が素晴らしく、それらをウズベキスタンの観光の目玉としていますが、現在のウズベク人の先祖のウズベク族がそのティムール朝を滅ぼしたということは皮肉なことです。
そして日本で生まれ育った私には、想像が難しいです。定住することなく移動した、騎馬遊牧民の生活がどのようなものだったのか。厳しい自然の中、中央アジアの大移動は遊牧民だからできたのでしょう。夏の宮殿の中庭にはヒヴァのハンが寝泊まりするユルタ(仮設テント)を設置する台がありました。ハンにも遊牧民として草原のテントに暮らした遥か遠い昔からのDNAがあったのでしょうか。様々な民族が行き交い、融合し血が混じり、敵対したくさんの血が流れたこの地には海はありませんが、トルコと似てるなとも思いました。トルコに行ったのは遥か40年近い昔ですがイスタンブールもタシケントも色々な人種、民族の人がいました。そして同じく親日的で人懐っこい人にたくさん出会いました。歩いていると一緒に写真を撮ってと声を掛けられました。なんと言っても見知らぬ人と言葉は通じなくても、笑顔で通じ合えることが旅の醍醐味ですね。

この旅では美しいタイル装飾のあるイスラム建築を見ることが目的だったので、一番の感動は圧倒的にシャーヒズィンダ廟群でした。でも振り返ってみると、この一連の旅行記の最初の写真に選んだブハラのイスマイール・サーマーニ廟も何とも言えず印象的でした。この土地の土の文化である煉瓦建築(組積造)の一つの完成形を見る事が出来たのも奇跡のようです。もともと霊廟なので神聖な建物なのですが、1000年以上前の煉瓦装飾が(修復されているところもあるのでしょうが)、後の時代の様々な工夫を凝らして発展していく華麗なタイル装飾の原点だったと思うと、まるで夜明け前の満月を見たと例えたくなるような、満ち足りた神聖な気持ちになったのでした。



最後に本日のタイルです。タシケントのクカルダシュ・メドレセのタイルをコラージュしてみました。

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by aozakuro | 2017-09-29 13:05 | | Comments(0)

タイル絵付け制作記録。時々陶芸、木工も。


by aozakuro